Environment

環境保護

ゾイ・ローソン(98年卒業) 

 私たちがすることは 何でも、環境に影響する。何かを捨てたら、スプレー式缶 を使ったら、プラスチックの物を買った時も、いつでも環境に影響する。外を歩く時、プラスチックのごみを見たら、悪い気持ちがする。けれども、私はそのごみをつまんで捨てることはしない。それは、ごみをごみばこに捨てない人と同じだと思う。私はそういう風にしないけど、ほかのいろいろな小さいことをして環境保護に協力している。
食べ物を買う時包装を見てください。大体、きれいな食べ物にはたくさんプラスチックの包装が使ってある。そういう包装は使い道がなく、必要ではないと思って、あいにく捨てる。そのプラスチックがごみの埋め立て地を十分に満たして、環境は悪くなる。環境についてだけでなく、プラスチックをたくさん使う食べ物の値段はもっと高くなる。プラスチックが入っているものと言えば、電子の物がたくさん浮かんで来る。一般 に、懐中電燈やヘヤドライヤーやヘッドホンなどは大きいプラスチック包装を使っている。私はそんな物は買わない。けれども、買わないから製造者がプラスチックを使うことを止めさせる機会を私は持たないし、そういう製造者に意見を言う機会も持たない。
普通は、店で何かを買ったら、店員が物を袋に入れてくれる。私の買った物が小さいか、またはほかの大きいかばんがあれば、私は「袋を使わないでください」と言っている。日本にいる時、時々マクドナルドから食べ物を持ち帰った。日本では、マクドーは袋を三つ使っている。熱い物を入れる紙の袋一つと冷たい物を入れる他の紙の袋ーーその二つはプラスチックの袋である。それは全く不必要だと思うから、いつも私はマクドーの店員に一つの袋に入れてもらった。普通 は、店員は困惑した。
家の中でもいろいろな小さいことをする。人がいない部屋ではいつも電気を消し、水が蛇口からぼたぼた落ちるのを止めることなどに気をつけている。私の両親の家でも、水の保存のために特別 なシャワーの蛇口を使うし、トイレのタンクに煉瓦を入れている。私のベイツ大学の寮では毎日、他の学生はシャワーを完全に止めないから、靴下をしめらせてでも、私は水を止めに行く。私は「水を止めてください」と書いたメモさえ貼ったが、それでも他の学生は気を付けようとしない。
今までに、私は環境問題に関する二つの大きい経験をした。一つは五年ぐらい前に協力したS.W.E.A.T.である。S.W.E.A.T.と言う意味は忘れてしまったが、そのボランティアの団体はShawsheen川と言う川をきれいにする団体である。その川は私の町にゆっくり流れている浅い川である。多くの人はごみをその川に捨ててしまう。ある土曜日の朝、私はその川へ行ってカヌーに乗り、100mだけをきれいにしたが、タイヤを30ぐらいとパレットを20ぐらい川から引き上げた。環境をきれいにしたので、後でいい気持ちになったが、している時は大変気持ちが悪かった。川に泥があって私の股までつかり、しかもその泥に蛭や分からない虫がいたのに歩いたから、いやだと思った。でも我慢をし、川をきれいにした。
もう一つは日本にいた時の経験である。去年の一月に日本海でロシアの原油タンカーが二つに割れてしまった。海からとれる物を食べるから、日本人はたいへん心配して、多くの人が海をきれいにするために北陸の海岸に行った。最初に、船に乗って、海から原油を引き上げた。その後、岸で石から原油を移した。私とほかのAKP(Associated Kyoto Program)の学生は札幌の雪祭から帰る時に、金沢の近くで原油の引き上げを手伝った。皆は原油から保護するためにプラスチックの服を着、チョコレートのプデイングのような油を石から移した。そのにおいはとても異様だった。そこで働くのは楽しくなかったが後でいい気持ちになった。
私は環境問題の活動主義者ではないがいろいろな小さいことができる。一般 的に私は怠けものだから政府に「環境に対して悪いことをしないでください」といって手紙を書かないが、環境のためにまだ協力できると思う。環境問題の前線にいないけど母なる大地の支持者だと思っている。◎[この作文を元にしたゾイさんの記事が「ふぇみん新聞」に掲載されました。]

紙の使い過ぎ

ふじわらきよみ(93年卒業・留学生)

 このところ、再使用、リサイクル、省エネルギーが叫ばれている。世界的に森林伐採、資源不足が大きな問題となっているからである。ベイツでも、昨年から学校愚るみで寮の各部屋に、2種類のゴミ箱を置き、紙と一般 のゴミとを区別する運動に乗り込んでいる。各生徒にマグカップを支給し、紙コップの使用を抑え始めたのも、ここ2、3年のことだ。
 コンピューターの紙の再使用や、紙コップの使用量削減に努力している反面、私達は皆公共トイレで洗手後、紙タオルで手を拭いては捨てる。食事をすればナプキンを必要以上に使い、無駄 にする。私が米国の家庭を尋ねるとき一番驚くのは、台所で使用される紙ナプキン、紙タオルの多さである。日本ではどこの家庭でも大抵フキンで全てがすむ。ところが米国では手を拭くテーブルを拭くのも紙を使い、捨てる。
 日本での割りばしの使用は米国でもよく非難されているが、割りばしは食堂等でしか使われないのに対し、紙ナプキン、紙タオルは比較的安く手にはいるせいもあり、米国の一般 家庭で日夜大量に捨てられているのである。だからといって、日本人の割りばし使用を正当化している訳ではない。一般 家庭でムダに捨てられる紙の量は、割りばしよりはるかに多いと思われるのである。
 問題は、先程も触れたように、こうした紙製品が安く手にはいるところに有ると私は思う。紙コップや紙皿等は日本に比べ格安で手にはいる。簡単にムダにするその心理の裏には、いつでも安値で買えるという事実が存在する。
 このようなムダをなくす為には、これらの紙製品の値を上げることだと私は常常考える。紙タオルが1ロール5ドルすれば使用量 が減るばかりか、買え控えをするようになり、米国でも日本の様にフキンを使う家庭が増えるだろう。トイレの紙タオルも、個人個人がハンカチを持ち歩けば、一年で何本の木を救うことができるだろうか。