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尊敬すべきプレイボーイ    ゾイ・ローソン ’98
 紫式部が11世紀に書いた源氏物語は有名な話だ。現在までに多数の人がいろいろなことを源氏物語について書いた。私が源氏物語を知ってから四年が経った。私はアメリカ人だし、基本的な日本語しか分からないので日本語の批評が読めない。それでも、源氏物語について考えを書きたい。光源氏(ひかるげんじ)についてアメリカ人の文化の観点から考えると、光源氏はたいへん悪い人だ。よく女の人を犯すから婦女暴行者のようだし、プレイボーイのようだ。けれども、もっとよく考えれば、この話は平安時代の話だから、違う風習や道徳などがあっても不思議ではない。すると光源氏の評価は少し上るが、それでもとても良い人とは言えない。だから、私は尊敬すべきプレイボーイという名称を作り使うことにする。
 「尊敬すべき」と「プレイボーイ」という言葉の定義は両方むずかしい。皆はその言葉の意味は分かると思うが、聞かれても答えられないと思う。「尊敬すべき」というのは一番むずかしい概念だと思う。私はそれに対しての日本人の観点を本当には知らない。西洋では「尊敬」というのは歴史がある。中世時代(8世紀ぐらいから12世紀ぐらいまで、ヨーロッパの封建的な時)に、「シヴァリ(騎士道)」という道が生まれた。シヴァリというのは武士道のようなことだ。ヨーロッパで武士のような人、つまりナイト爵が、そのシヴァリの礼儀によって生活した。その礼儀は、女性に敬意を表したり、いつも義理に服従したり、本当に、死ぬ ほど騎士の本分を尽くすことだった。それだけではなくて、理想的なナイト爵たちは、真理や徳や良心などを維持することになっていた。
 しかし、そんな騎士道の精神は平安時代の後に生まれたものだから、源氏物語はシヴァリや武士道には当てはまらないと思う。けれども、真理や徳や良心などというイメージは使えると思う。私の考えでは、「尊敬すべき人」はこのような特徴を持っている人ではないかと思う。
 「プレイボーイ」というのはもう少し簡単な概念だと思うが、それには悪い印象がある。「尊敬すべき人」の反対ではないけれども、騎士道の精神はない。プレイボーイというのは大体ハンサムな人や愛きょう者だが、女性を誘惑してその女性を犯すかもしくは性的関係を持つ。女性は時々そういう男性は悪いということが分かっても、魅力的だから魔法をかけられたように好きになる。プレイボーイには道徳心や良心がない。
 「尊敬すべきプレイボーイ」というのは矛盾しているかもしれないが、その表現は適当だと思う。それはプレイボーイでも「尊敬すべき人」の真理や徳や良心など維持することがあり、プレイボーイの魅力も持っている。それでいて、女性を虐待しない。尊敬すべきプレイボーイは一般 的に良心的だが完全な人ではない。この表現は光源氏にぴったりだと思う。源氏は女の人をたくさん誘惑するが、一方ではたいていその女性を助けてあげるからだ。
 光源氏の「尊敬すべきプレイボーイ」なりを議論する前に、平安時代と今の風習はとても違うから、平安時代の道徳的なことについて説明をしなければならない。平安時代には、大体結婚した男性と女性は両親と別 の家には住まなかった。一般に、夫婦は妻の両親と住むか、妻が自分の家に住んで別 に夫も自分の家に住んだ。後者の結婚のかたちを選んだら、夫が妻を訪問した。その時代には一夫多妻の結婚の風習があった。そして、妻の方が夫を訪問することは大変であった。一般 に、夫が来るかどうか分からなかったので、妻は心配したり落胆したり怒ったりしながら待った。 道綱の母によって書かれた「かげろう日記」に、そんな気持ちが詳しく描写されている。その時代には、男性は一般 に一人から三人の女性と結婚した。その上に、時々恋人(結婚しないが性交をする女)もいた。夫が配偶者に対して誠実かということは大事なことではなかった。そのことを頭に入れながら、尊敬すべきプレイボーイと光源氏を考えてみょう。
 二つの大切な論点から光源氏はプレイボーイであると言える。一点は源氏が女性を無視することである。一つの例は葵の上(あおいのうえ)だ。葵は源氏の最初の妻である。結婚した時源氏は十三才でしかなくて葵の上は十九才だった。源氏はとても若いので責任感がわかるわけではなかったし、そして政治的力もなかった。若くてハンサムな源氏は利己的なことをしても当然だった。(Seidensticker, p.122)  秋になって、源氏は葵の上の三条の家へあまり行かないようになる。そして、葵をあまり訪問しないので、葵の家族はうれしくない。(Seidensticker, p. 62)  そんなことをするからプレイボーイと言われるようになる。二つ目の例は「花散里(はなちるさと)」である。この女性は「れいきでん」という天皇の遊女の妹だったので、源氏と知り合いになる。そして源氏は「花散里」とはあまり性交しない。後で源氏は花散里をあまり訪問しなくなる。六条の御息所(ろくじょうのみやすどころ)、空蝉(うつせみ)、明石の上(あかしのうえ)、源の内侍の典(げんのないしのすけ)など他の女性も無視する。しかし、だからといって尊敬に値することをしないというわけではない。
 二点目は、源氏が自制ができないことである。源氏は欲しい女を見れば自分自身を止めることができない。「据摘花(すえつむはな)」との関係が良い例である。太夫(たゆう)という据摘花の侍女(じじょ)も源氏の恋人というわけで、源氏は据摘花にひき合わせられた。源氏は太夫に据摘花の貞操を犯さない約束をするけれども、もう我慢できなくて彼女の部屋の戸を開けた。その事件から見ても、自制心がないと思う。紫の上(むらさきのうえ)も同じ例だ。紫の父は兵部卿の宮(ひょうぶきょうのみや)だから、紫は父に保護されるのが当然だが、源氏は紫を誘拐、保護する。源氏は二つの理由から紫を誘拐したと思う。一つは自制心がないこと、もう一つは紫が藤壷(ふじつぼ)に以ているからだ。さらに言えば、紫の上と最初に性交をする時も自制心がない。その時紫は十三歳でしかないから、性交のことが理解できないのに、源氏は性交をする。そのことは婦女暴行のようで大変悪いと思う。
 源の内侍の典(以下「内侍」)はもう一つの例だ。けれども、特別の例だ。内侍は天皇の遊女という侍女だから、階級が低い。源氏は内侍に不名誉なことをしても当然というわけだが、私はいい理由だと思わない。内侍に対しては、源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)も性交をする。けれども、両方とも内侍の個性が好きなわけではなく、性交だけ欲しいわけだ。源氏の場合は内侍との関係を冗談のように見なす。そんな源氏は大変悪い人だと思う。けれども、内侍は侍女だから、平安時代には差別 をしていいわけであることを考えると、その待遇が理解できるかもしれない。
 光源氏はいろいろな悪いことをするがいろいろな良いこともする。一番重要なことは女の人を世話してあげることだと思う。平安時代には女性は家族に頼っていたから家族の後援がない女性は大きな問題があった。お金がなく、政治上の後援もない女性が生活することは大変むずかしかった。源氏物語の『帚木(ははきぎ)』の章で光源氏はそういう問題がある女性が好きだと言った。源氏と関係した何人かの女性は、そういう問題があった。葵の上の父は政治上源氏の後援をするが、源氏は他の女性を政治的に援助する。例えば藤壷である。源氏の父の天皇が死んだ後「弘徽殿(こきでん)」の息子(源氏の母違いの兄)が天皇になり、弘徽殿が権力を握ったので、藤壷と、事実上源氏との間に生まれた彼女の息子には問題があった。もはや天皇の後援があるわけでない。けれども源氏は藤壷の息子を後援する。息子を助けることは藤壷も助けることになるからだ。
 源氏物語では「身代わり」がよくある。ある女性が死んだ後、又は源氏がその女性と会えないから、その女性に似た他の女性と関係を作る。藤壷はいい例だ。藤壷の身代わりは二人いる。息子と紫である。藤壷は尼になったので、源氏は彼女と性交ができなくなる。そして、息子を助け、紫の世話をする。他の身代わりもある。夕顔(ゆうがお)のは「玉 鬘(たまかずら)」であり、六条の御息所(ろくじょうのみやすどころ)のは「秋好む中宮(あきこのむちゅうぐう)」である。夕顔は早く死んだので源氏は彼女が助けられなかった。玉 鬘は夕顔の娘なので源氏は玉鬘を助ける。秋好む中宮は同じ例である。
 一般に、光源氏は女性を金銭上で援助する。据摘花(すえつむはな)もそんな例である。彼女は家族もいないしお金がないので生活は非常に貧困である。源氏はそのことを聞いて据摘花を助けた。そして、据摘花は源氏の二条院に住むにようになった。源氏の邸宅、二条院と六条院はそのように重要なところだ。源氏は問題がある女性を助ける意味もあって、二条の家を作り直して二条の東院というところを作った。据摘花と空蝉(うつせみ)をそこに住まわせた。六条院も大切なところだ。そこには紫、明石、花散る里、秋好む中宮を入れて女性六人を住まわせた。そしてその二つのところから女性たちを助けた。そのことから源氏が尊敬するに値すると言えると思う。
 だから私は光源氏は尊敬すべきプレイボーイだと言いたい。悪いことも良いこともする。自制がないことをするけれども援助もする。他人の世話をすることはプレイボーイより重要である。結局源氏は尊敬する値うちがある人だと思う。

–“Tale of Genji” by Murasaki Shikibu, translated by Seidensticker —
[内容的にまだ論議が足りないのはわかっていますが、時間が不十分でした。]