Speech

『私の一日』  マット・サバス’08

私は朝起きて、1階の台所(だいどころ)へ朝ご飯を食べに行きます。私の前に目がある魚がおいてあります。私をじろじろ見ますけど、私は骨(ほね)を取って、食べはじめます。食べている間、アメリカの食べ物、特にシリアルのことを考えます。食べた後で学校に行きます。玄関(げんかん)を出るところでお母さんに、「行ってきます」と言いますけれども、その言葉の意味は分かりません。とても大切な言葉だということだけ知っています。7時40分ごろ阪急の駅に着きます。待っている間に、ピカチューのかっこうをした女の子が私の前を歩きます。しかし、特に面白いとは思いません。日本に来てから毎日奇妙な(きみょう)ものを見つけるからです。だからピカチューのかっこうをした女の子が特に面白くないと思います。それから電車が来て、私は乗りますけど、電車の中は人でいっぱいです。みんなが押すので、私の前に立っているサーラリマンにキスしてしまうほどです。とても変(へん)です。40分ぐらい後で、烏丸に着いて、地下鉄に乗り換えて(のりかえ)、やっと同志社に着きます。

教室(きょうしつ)に入ります。でも、午前9時ですから、頭がまだ寝ています。先生は早く話しているので、何も分かることが出来ません。そして、先生は黒板(こくばん)に漢字を書きはじめます。私の頭が痛くなります(いた)。漢字が大嫌いになります。文法や名詞(めいし)や動詞(どうし)や形容詞(けいようし)も嫌いになります。

午後1時ごろです。書道に行かなければなりません。いつも書道はとても簡単そうですけど、私はぜんぜんきれいな漢字がかけません。1か月ぐらい練習していますけど、まだ下手です。始める前に先生は「今日は六という漢字を練習しましょう!」と言います。その漢字は易(やさし)しそうだと思って、書きはじめます。終わった時に、私が書いた漢字は小さい動物みたいです。書道が好きじゃありません。

まだ日本語が話せなくて、悲しくなるので、学校を出た後で、お酒を飲みに行きたくなります。私の薬はお酒です。しかし、お酒をよく飲む人になりたくありませんから飲みに行くかわりに家にかえります。

帰る間、iPodでアメリカのニュースを聞きます。悪いニュースばかりなのでアメリカのかわりに日本に住んでいることが、突然(とつぜん)嬉し(うれし)くなります。

家に着きます。食事の時間です。私のお母さんはいろいろおいしいものを作ってくれます。でもはしで食べなくてはいけないので、食べることは簡単じゃありません。食べながら、お母さんはお父さんと話しますけど、私はあまり分かりません。しかし、私が話すとお父さんがいつも「あっ、マット、あなたの日本語はきれいになりました」と言います。もちろんそれは嘘(うそ)です。お父さんはこてこての大阪弁を使いますから、ぜんぜん分かりません。時々お母さんでも分かりません。

「ごちそうさま」と言った後で、お風呂の時間です。日本語を話せないのが嫌(いや)でたまりませんから、お風呂に入っている間、文法の本で勉強します。その後でソファーに座って、テレビを見るようにします。覚えた文法を使ってみます。私の言ったことが分かれば、ホストファミリーは喜んでくれます。

今は11時です。遅いので、最後に「おやすみなさい」と言って、ベッドに入ります。

「女らしくない」三人

アンナルイズ・エングルンド ’93

日本で昔、「女らしい」といったら、皆はどういう女かすぐ分かったものであった。その時、「女らしい」女は奥ゆかしく、静かで、自分のやりたいことは後にして良妻賢母であろうとした。現在、社会が非常に変わってきたので、そういう伝統的な「女らしい」女になりたがる女は少なさそうである。そうすると、「女らしい」印象も変わってくる。現代的な女は伝統的な役割に従うだけではなく、生活に新しい習慣を取り入れ、自分のやりたいことに従って、ほかの作業とか活動を経験したがっているように見える。私が日本で仲よくなった女の人三人の生活を見ると、「女らしい」という表現が使いたくなくなる。時代が変わってくるに連れて女に対する考え方も変化を遂げてきたからである。 

この三人は伝統的な女ではない訳ではないのに、昔と違った考え方でそれぞれの生活をしている。三人の中には伝統的な女がもう実在しないと言えるほどその女らしさに差がある。岐阜県の郡上八幡にあるホ一ムスティのお母さんは昔からの伝統に従って、良妻賢母である。アメリカ人としてはお母さんは日本に昔いた女のタイプと似ていると思った。けれども、私は彼女にそうではないと言われた。お母さんによると、女性差別 がなくなってきたので、昔使われた表現がてきとうに使えないそうである。 そう言っても、お母さんは家族のためにふるさとをあまり出ずに、主人と子供の世話したりするなどの家事をするし、近くにある寺院の掃除をしに行ったりして地域での付きあいもするから、「女らしい」と簡単に思われる。でも、決して夫に従属している関係ではないそうである。夫を愛しているから、夫の仕事を手伝うし、家族と一緒に旅行もするそうである。そして、全く伝統的とは言えないダンスパ一ティなどにも連れて行ってもらう。伝統的な「女らしい」お母さんなら、そんな機会を利用しないかもしれない。残念なことにそういう奥さんも多い。それにもかかわらず、私の日本のお母さんのように、自分の行動範囲を広げ、満足するために、少しずつ生活を変えられる奥さんもいる。

いなかに住んでいる女の人に比べて、都会に住んでいる女は「女らしい」という概念にもっと反対しているかと思っていた。大阪に住んでいる桂子というお姉さんは35才で、とてもきれいで、やさしいのに、まだ独身である。なぜなら、彼女は自分で見つけ、愛せる男の人と会わないと結婚したくなく、「お見合い」に反対しているからである。 それに、桂子は兄と作ったテニスクラブで働いて、スポ一ツがとくいで、たくさん自信を持っていて、近代的な独立した人である。そういう状況にいる女は昔の一般 的な女の人のようではない。もう一方では、彼女は家事ができ、概念的な女の役割を知っているから、時々「女らしい」と呼ばれる。でも、伝統的な女らしさを考えるなら、桂子は「女らしくない」と言える。私は昔からの決まった女の役割に満足しない桂子を本当に尊敬している。どうしてかというと、彼女は自分の成長のために伝統に従わないことにしたからである。

三つ目の例は東京で働いている斉藤さんで、株式会社ヴィクトリアの秘書課の部長である。高い地位 でけっこうがんばっているが、女の人として大変だそうである。伝統的な女のように振舞わなくてはいけない時がよくあるにもかかわらず、伝統的な「女らしくない」斉藤さんは決まった程度しか「女らしい」ふりができない。その結果 、自分の主張ができるようになったそうである。彼女は気になっていることを解決するために、課長に交渉をしに行くことが何回もあったそうである。斉藤さんが本当に伝統的な「女らしい」女だったら、そのように振る舞わないと思う。 普通、日本の会社の制度では女性はあまり昇進させてもらえないし、性的嫌がらせがよくある。内気な女の人や問題があっても誰にも言いたくない女の社員も多いが、斉藤さんのように仕事を危険にさらしても、女の伝統の役割に反対できる女性もいる。

お母さんの場合、伝統的なスタイルで日を過ごし、あまり現代的とは言えなくても、新しい考え方が分かってきている。新旧両方の生活様式に従えるとは、すばらしいことだと思う。 一般的に、「女らしさ」は言葉から来る印象だけで、その女の人の本質と違うようである。今はお母さんは「強く、自信を持っている人だ」と分かったので、彼女に対する思いは変わってきた。日本の女の人はよく知り合わないと、本当には分からない。「女らしく」見える女でも、その行動や態度によって違うから、皆にその表現はなかなか当てはまらない。 私が述べた三人の女のように「女らしさ」は違っても、尊敬されている女の人も多いと思う。しかし、彼女たちが尊敬されている理由は「女らしい」女の人だからではなく、りっぱな特質や個性があるからなのである。伝統的な女性の目的は人の世話だが、今の日本の女性の人生の目的はもっと広がってきていると思う。

「知的な好奇心」

アンドルー・チャッタム ’02(デユーク大学 Duke University)

  去年の夏休みに家へ帰ったら、妹はちょっと気難しくなっていました。本を読みたがらないし、宿題もしたがらないし、何も習いたがらないから両親はとても心配していました。もちろん、だいたい13才の女の子は本が好きじゃありませんから、しかたがありません。でも、妹が「本を読むのが大きらい!」と言うのを聞くのは耳が痛かったです。
  勉強したがらなくてもよかったのですが、家族はみんな、妹に、せめて「知的な好奇心」を持つようによく頼みました。どうして父がそんな言葉を使ったかわかりませんが、父は「知的な好奇心がたいせつだ。」といつも私たちに言いました。
  ある日の夕方、妹と父と私は近所を歩きながら話をしました。父と私が外国語について話していた時、妹は「日本語でどう十数えますか。」と聞きました。夏だったから、私はその時日本語をすっかり忘れてしまっていましたが、ちょっと考えて思い出した後、十数えてみました。一度、数えた後、妹は、1と2と3を覚えました。私がまたもう少し数字を言ったら、家へ帰らないうちに妹は1から10まで覚えてしまいました。その夜、妹が私の部屋へ来て「もっと日本語を教えて。」と言ったから、私は二時間ぐらい日本語を教えてあげました。本当に先生であるのは思ったよりとても難しかったです。その週、妹がひらがなを全部覚えた後、妹は、私が言った色々な日本語の単語をひらがなで書く練習を始めました。
  デュークに入る前に、私は日本語の勉強をがんばるつもりで、日本語のソフトウェアを買いましたが、なまけ者だったから、ぜんぜん使いませんでした。だから、それを妹にあげると、彼女はそれで、カタカナと日本語の単語と発音を習い始めました。
 その時に、妹は知的な好奇心を持ち始めたのです。両親はとても喜んで私に感謝しました。中学校が始まった時、妹は日本語の授業を取るつもりでしたが、学生が足りなくて、取り消されてしまいました。だから妹は一人でソフトウェアを使ってひらがなの練習をし始めました。去年のクリスマスに私は妹に漢字の本をあげました。妹は喜んでがんばって勉強し始めました。が、三日後「漢字はまだちょっと難しい・・。」と言って、やめてしまいました。でも、妹は今年の夏に日本語のキャンプへ行く予定だそうです。それを聞いてうれしくなりました。
  例えば、まわりの人が何もやりたがらない時や何も習いたがらない時、その人を強制することはできません。でも、自分が興味を持っていることをその人に見せると、それに興味を持つようになるかもしれません。妹は、まだ本を読みたがりませんが、とうとう知的な好奇心を見つけたようです。

**I had a chance to sit down in the 3rd year level class at Duke University and listened to the students’ speech. They have a speech contest there including Duke, UNC, NC States, etc.   I was so impressed by this speech and would like to introduce to you.  –Keiko Ofuji, March, 2001