Multiculture

日米大学制度の考察

ベイツカレッジ。これを読んでいる人のほとんどが、聞いた事のない小さい、しかし百五十年以上の歴史と伝統を持った、アメリカの中でも数少ないレベルの高い大学。今日はその大学について、ここに来て、六ヶ月目の私が、私の目から見た、ここの大学に於てのスポーツと勉学について書いてみたいと思う。
非常に高い学問レベルとその猛烈な量にもかかわらず、ベイツの数多くの生徒が運動にも熱心に取り組んでいる。一見なんでもない様で、でもなかなか大変な事。しかし、それが理想的な大学生活のあるべき姿だと思うし、皆もそれを成し遂げたいかのように大変努力をしている。
アメリカの大学、特にこの大学はとても自由で、一人一人の学生をとてもよく尊重するように見える。大学の中には底知れぬ ほどの数多くの人種がいて皆が何も制限されることなくのどかな生活を送っている。中には何もしない人もいれば、いつも酔っぱらっている人もいるし、あげていけば切りがないほどの人がこのキャンパスの中にひしめき合っている。しかしとりわけ多くの学生が一つだけでなく、複数の運動と、また課外活動に取り組み、有意義で楽しい大学生活をのびのびと送っている。ここに日本における大学教育に欠けている何かを私は見ているような気がする。それは日本の医学部なみのその学問レベルと体育界レベルのスポーツの両立であり、それがなんの強制もなしに行なわれているということなのである。例えば、日本において、もし医学部に属すれば体育界レベルのスポーツをその学業と両立していくのは大変むずかしいし、なかなかそういう人を目にすることがない。逆に高いレベルの体育界に属すれば医学部レベルの学業をその練習と両立していくのはまた大変難しいだろうし、なかなかそういう人に会うことがない。ここに来て私は文武両道の真の価値を見い出し、日本で知らない間にまるで義務であるかのようにしてやっていたたくさんのことの本当の意味と価値を認識するようになった訳なのである。
また入学課程においてもこの大学はそれを多大に尊重している。ほとんどのアメリカの大学が学力テスト「SAT」を採用し、もしある生徒が合格点「1200点」辺りの点を取れば、それで学問面 は合格なのである。この合格点の設置は大変合理的だと私は思う。ベイツでは学力以外の能力も考慮される。
日本において、もし高校時代に勉強と共に何か他のことをやっていれば、三年間勉強だけをしていた人よりいい点を取るのは論理的に大変難しい。もしそういう生徒が日本の大学入試において仮に九十点をとっても、合格した二百人の点が九十一点以上であったならば、その生徒はその九十点が学力的に見れば十分であっても不合格なのである。これは明らかに間違った生徒の選び方だと思うし、生徒を学力だけで評価しているのである。これはまた明らかにその生徒の総合的価値を無視しているし、また課外活動の価値をも無視しているのである。言ってしまえば、仮に一人の生徒が試験において八十点を取ったとして、彼は高校三年間勉強だけをしていたとする。もしもう一人の生徒はその試験において六十点を取ったとする。そして彼は三年間勉強とともに他の課外活動をやっていたとする。後者の生徒は前者の生徒より低い点を取ったが、私は後者の生徒は前者の生徒と同じ叉はそれ以上に評価されるべきだと思うのである。要するに私が強調したいことは生徒は学力だけでなくその総合的価値で評価されるべきだということである。そしてそれがアメリカにおいての入学課程のよさであり、一時間以上の面 接と複数の履歴書、その生徒の志、本人の応募のための小論文がその生徒の”学力面 以外の価値”の評価の役目をなしているのである。ここに理想的な、少なくとも理想に近い生徒採用課程が、学力テストと面 接と論文によって行なわれていると思うのである。
このようにしてアメリカの大学生徒達は理想に近い大学教育課程のなかでのびのびと有意義な大学生活を送っているのである。また私自身、自分の納得の行く教育課程に納得の行くように評価、採用され有意義な毎日を大変苦労しながらも楽しく満足に送っているのである。また日本においても生徒採用課程の改善によって沢山の人が報われるだろうし、報われることを心から願う次第である。

さとうたつや(97年卒業・留学生)

女性セレブレーション

ベイツでは色々な催しや講演、演奏会などが頻繁に行われる。小さい講演や演奏会は毎週あると言っても言い過ぎではない。そういう催しのひとつとして、3月に「女性セレブレーション」が行なわれた。ベイツ大学での二週間の祝賀は八日に始まり、学生の企画によって、多様なイヴェント、講演や演奏会などが行なわれた。メーナ・アレクサンダーというニューヨーク大学でイギリス文学の教授をしているインド系の詩人が、自分の女性としての人生について講演をし、スタートした。
世界の国々から移り住む一握りの人間のこの一人が、まだ幼い6歳の少女の時、家族に伴われてインドの南部からアフリカのスーダンへ移民したのに始まり、絶えず外国人としての人生が続いた。アレクサンダー教授は、その時から女性であることに伴う差別 や侮辱の上に、外国人という不利な立場に陥ってしまったと言った。16歳の時、高校で優秀な学生と見なされ、大学に入った。大学院はイギリスに決めたため、20歳以下の時、一人ではるかなイギリスへ移り住んだ。そこで、イギリス文学を専攻し、稀にみる人物ならではのように、22歳の時、博士号を取って卒業したそうである。
この二つの国での生活によって、アレクサンダー教授は自分の身体のみではなく、むしろ自分のインド系の人としての観念が他の民族のと異なることがわかったし、スーダン人やイギリス人などの彼女への態度が、それぞれインド人に対しての偏見を反映していることもわかったそうである。ユダヤ人と結婚し、アメリカに移り、またこのような現象を味わったそうである。アメリカでの生活を顧みると、特にいやになったのは、普通 のアメリカ人が民族差別と言うと、白人と黒人の対立しか考えられないということだと説明していた。そして、自己形成には、アメリカの社会はあまりよくない環境だと指摘してした。
しかし、講演の終わりごろ、自分の混血の子供についての話をした。ある日、ニューヨークで近所の黒人のお爺さんが、彼女の4歳の息子に質問をした。「あなたは白人ですか」と聞かれた時、息子は「いいえ」と毅然と答えた。「あなたはインド人ですか」と聞かれると「いいえ」とちょっとイライラしながら答えた。「じゃあ、あなたは何人ですか」と聞かれると、息子は「スター・ウォーズのジェダイ・ファイターだよ」と誇るように叫んだという。
要するに、皮膚の色は考えないで、魂だけを考えて答えたこの子の言葉は、民族の対立のささいさを語っている。アレクサンダー教授が解説したように、民族の多様な文化や体などの特徴は、世界のさまざまな社会に色を塗り、人生を面 白くさせる役目を果たしているのではないかと思われるが、より重要な特徴は、人々の多様な性格だと肝に命じなければならないことである。これと同じく、全ての女性は、文化や体などの面 で違っているかもしれないが、中身はそんなに変わらないということを認識できるようになって初めて、女性差別 の解消への道を迎える。そのことを伝えた上で、アレクサンダー教授は「国際女性セレブレーション」の開会を告げた。

ジェニファー・モラディアン(93年卒業)